神奈川は大和市の老舗、懐かしの北京飯店♪

奈良剛雅料理長と久々の再会! 元気そうでなによりでした。2か月ほど冬の寒い八王子の山奥で一緒に仕事してました。お互い頑張ろうゼイって、この模様は後ほど~♪

 

神奈川県大和市、俺にとっては一年ほどの勤務となったが、激動はこの後も一年ほど続いたんだけど、それはまたの機会に。さて、当時を振り返ると栃木県宇都宮市の東武ホテル直営「竹園」に勤務していた俺は仕事の話を頂戴して受ける事にした。場所は神奈川県藤沢市、土地と新築ビルで5億ほどかかった物件をオーナーから依頼されてオープンするという中国料理と焼肉店の総責任者は、Mrパーフェクト。今は無き立川リーセントホテル直営、「中国料理・楼蘭」。シティホテルであるのに宿泊施設というよりは中国料理の名店として一世を風靡。三田・田町の老舗中国料理・菩提樹の池上禎雄料理長、銀座の老舗中国料理・麒麟の松島徹料理長、新宿・青山・日比谷で中国料理・礼華を展開する新山重治オーナーシェフという凄いメンバーが集結していた伝説の店を束ねていたのが、現在の日本中国料理界を陳建一会長とともに双璧といわれて牽引し続けているアイアンシェフ・Mrパーフェクト、現在もトゥーランドットや一微笑茶楼を展開する脇屋友詞オーナーシェフでした。東武ホテルの有明進出断念、そして錦糸町の規模縮小、東京から宇都宮に行った俺は目的が変わりつつある現実に直面していた。東京に帰るためには職場を変わるしかないかなと思っていた時期だった。立川まで面接に行った帰り道、東京時代に馴染みの深い渋谷で下車し、代々木公園を通って考えをまとめ、「やるか!!」と決意。それから4か月後...俺は失業者となっていた。オーナーの健康状態が思わしくなくて急遽の閉店決定、まぁ借金問題やいろいろな諸条件に折り合いがつかずという結果だった、そう藤沢での敗北。

一か月後、俺は大和の北京飯店に勤務していた。東武ホテル「竹園」の小池実料理長から、当時神奈川を中心にしていた中国料理研究会である「菜譜会」の田畑逸夫会長を紹介していただき、その紹介での就職となった。中華のプリンスといわれた男、関雄二氏との出会いは強烈なインパクトだった。夢を持って臨んだ藤沢、経営者都合で翻弄される従業員、なにくそと頑張っていた矢先に閉店通告...悔しかった、ひたすら悔しくて、その思いは仕事へと向けられた。その年の年末、1971年創業の老舗で過去最高売上をクリア。配膳主体からアルバイト主体へと変更し、300席で3フロアーが稼働しているので、各階でのヘルプ体制を確立、厨房からも片付けに来てくれて、ホールから俺を先頭に洗い場を手伝った結果だった。嬉しかった、やっと神奈川に来た甲斐があったと思えた。束の間の勝利、そしてもう一つの目的、「東京でもう一度!」が徐々に芽生え始めていた。


久しぶりの大和駅前を通り、駐車場に向かう...やっぱ変わってるネ~、たぶん15年振りかなぁ~。あ、第二駐車場も移動してマス。おーここか!

帰りは階段で正面として、後ろ側から入りましょう...おー久しぶりだナ~♪

「あ、白土さんいらっしゃいませ!」2Fのレストランフロアーに行き、着座。メニューを見てたら小栗伸介マネージャーが笑ってました。電話では数度、実はリアルでお会いするのは初めてデス。そうです、Facebookでのお友達~♪ 「見てますよ」「(#^^#)、今日はこれから厚木方面で温泉に行くので、これは行きたいなぁという事できちゃいました♪」「ごゆっくりして下さい」・・・さすがベテランサービスマン。ホント、前から知ってるように自然に振るまう様は、素晴らしいですナァ~(^_-)-☆

さて、車の運転は女房殿ですから、俺は隣で寝てればいいから、まずはビー・・・はい、モチロンです、これから桜巡りで歩くしネ、酒なんか飲んだらネ~。そうそう旅館行ってからの楽しみだから飲まないよ~(ケッェ、先に制されました)!

「ミニコースお願いしマース♪」

前菜登場~、バンバンジー、クラゲと野菜~、チャーシューという王道・・・おー、懐かしいこの色映え。実は当時勤めていたメンバーは厨房も含めて変わっていると聞いていたので、料理もずいぶん変わったんだろうなと思ってました。ところが、コレは当時のような見栄えデス...そうそうバンバンジーのタレはこんな感じだったナァ~、お、チャーシュー...うんうん、懐かしい。これもチト温める店が増えて、個人的にはそっちの方がいいんだけど、冷盆だからこそ早く提供出来るからネ。んでクラゲ...この組み合わせ方といい、太さなんかもそのままジャン。そうとうちゃんと引き継ぎしたんだネ~、懐かしさもあるけど、シンプルイズベストな美味しさは安心に繋がりマスなぁ~、ウマシ...クイ~といきたいけど...ま、しかたないナァ~(^_-)-☆

おーって(メニュー確認)、牛肉になってる...すいません、小栗マネージャーありがとーございマース...その店の最高の味を引き出す醤、ブランデーでいうエクストラ・オールドを名前に付けたXO醤。店によって味は変わるのでソースとして出す店もあれば食べるように工夫をして出す店もありマス...しっかりした味付は白いゴハンと合うだろうなぁ~。ちとオイスターソースも使ってるかな、この感じが好きデス!


海老と野菜の炒めも色合い、仕上がり、当時の料理を色濃く残してマス...人参やタケノコの切り方とかネ、あ~、そうそうコノ生姜の切り方は特長あったもんナァ~。これが味に反映するのデス。いや~、懐かしいやら、ウマさ再発見やらで、それにしてもココまで引き継ぐとは相当「奈良君が料理長で頑張ってますよ」と小栗マネージャー・・・〇▼◇・・・ん、・・・「エー、いるんですか~!!」「はい、頑張ってますよ!」

八王子の陣馬街道沿いにあった中国料理「金生」。老舗といえば聞こえがいいが、昭和そのものでドライブイン的な建物。たまに東京乾電池のベンガルさんが来てたっけなぁ~。

東京への思いが日増しに強くなる俺。料理の鉄人で「中華のプリンス」として名を成し始めた時期、関さんの師父である『丁自平』氏はお台場フジテレビ球体レストラン「シノア四季」オープンで2代目の料理長をしていた。最短二年で中華の神様、四川料理の伝道師、陳建民氏にその実力を認められた18歳の丁自平氏は横浜ジョイナス四川飯店の料理長として大抜擢。その後アメリカに渡り全米料理コンクールで最優秀賞を受賞、日本に戻り重慶飯店新館オープンに料理長として招聘され、その後幾多の店で顧問となり、なんと俺がいた、直営でなくなった宇都宮東武ホテル「竹園」で料理長(現在の竹園は金萬福氏が務める)を経て、現在も後進の指導にあたっている方デス。そして縁あって俺はシノア四季へ...失望と挫折でたった1か月で自主退社。凄い会社で、これはいられないと考えた俺は辞表提出。丁総料理長と飯塚副料理長からは暖かい言葉をいただいたのですが、あの当時の俺は頑なで「もう中国料理の仕事につかないでいい」とまで思い込んでいました。再びの東京で、尻尾を巻いて逃げ出すという大敗北...数日後に日雇い仕事に登録し、ブロック運び、葬式手伝い、穴掘りなどなどの日々。すると「白土君、なにしてんの?」と関さんから連絡あり。「ちょっとこっち来てくれないかな」との事。そういえば辞めてから挨拶もせずにいたので、「いいですよ」と約束し、数日後に大和へ。チト早めに到着でしたが、そのまま厨房へ行くと「お~白土君、行こうか!」「え?」「まぁ、いいから、いいから」と車でどこへ行くかもわからずに発車しました。実はこの時、女房殿とお付き合いを始めたばかりで帰りにご飯でも食べようかと約束していたのデス。まぁ、まだ16時だし何とかなるだろうと安易に考えていた俺は関さんとあーだーコーダーと話しをしてました。行先を今だ言わない関さん。渋滞している車道で相模原あたりで「で、どこ行くんですか?」「八王子で今度顧問する事になった店があるから一緒に見に行って意見聞かせてくれないか」...ま、しょうがないよね、ココまで来ちゃったし。「解りました、ちょっと電話しますね」あの時はごめんね、女房殿(^_-)-☆

あれ~点心登場...「料理長からです。」...すいません、ありがとうございマース♪

マーボードウフが来ました...あ、コレは味変えたネ。かなり抑え目にしてるようデス。続けてチャーハンは、五目で登場デス!

玉葱でハム、そしてグリーンピース多め。懐かしい・・・ウン、しっかりとした味付けのパラパラ系。それならば、チトはしたないですが、これで食べマス(^_-)-☆

おー、旨し、ウマシ~♪


豚バラのチャーシューでハーフらーめん!!

五目野菜のピリ辛合え麺!!

 

いやぁ~食った、食ったって、麺が一種類多い...ホント、すいません。手土産もないのに、ご馳走様でした~m(__)m

「すいません、小栗マネージャー。お気遣いいただいちゃいまして。」「いえいえ、後で奈良料理長が挨拶来ますからゆっくりしてて下さい」「あ、じゃあ俺が挨拶行っていいですか」「はい、そうぞ」と厨房まで一緒にいってくれました。ありがとうございマス、小栗マネージャーm(__)m

おー懐かし~いゼイ(^_-)-☆

八王子の現地「中国料理・金生」に到着。ホールから厨房、さらに行くと奈良君が倉庫などを修繕しているところだった...秘密基地作りしてるようだったなぁ。「チース...あ、白土さん」「おー奈良君」「奈良も手を休めてちょっと来てくれ」と事務所へ。「それでさぁ白土くん、次決まるまでココ手伝ってよ」・・・?・・・?!、「えー!!」「いいんだよ、次決まるまででいいからさ、それに違う仕事してる場合じゃないでしょ、コッチ側の仕事をやりなさいよ」...心配してくれていたのデス。辞めてから月日が経ち、いろいろと考え始めていたので、この後いろいろと話しをうかがい、「そういう事なら、決まるまでよろしくお願いいたします」となって、2カ月間ほどお世話になりました。ベットが無いのでカラーボックスのデカいのを反対に倒してそ上に布団引いてネ。風呂も銭湯もないから店の古いバンで店終わってからスパに通ったなぁ。メニューをパソコンで作り直したり、手書き伝票だから料理通すための漢字二文字で暗号作ったり...けっこうこういう感じで仕事するとギスギスするんだけど、それは全然無かった。奈良君のおかげでしたね・・・・・「おー久しぶり~」「あーどーもデス」変わんねえなぁ~奈良君!!

ナンダーカンダーといろいろと話しが弾んでしまいました。そうか、いたのか、もっと早くくればよかったなぁ~。奈良料理長、ご馳走様でした。今度は事前連絡して来ますゼイ。ありがとーございました~(^_-)-☆

かわらないネ、王道のアンニンドウフ!

ご馳走様でした~(^_-)-☆

  

★ 大和・北京飯店  http://pekin-hanten.co.jp/


いろいろと思い出しました。あの時、関さんの話をお断りしていたらどうなってたのかなぁ~。多分、結局はコチラ側の仕事に帰っていたとは思いマスが、声をかけてくれた事がうれしかったし、ありがたかった。名古屋で頑張ってる関さん、お互いがんばりましょう。そして、ありがとうございましたm(__)m

さぁ~て、2018桜巡りを再開しますゼイ。女房殿、お願いしマース(^_-)-☆

和魂華才、俺のCHIなサロン!

日本の中国料理についてのこれまでの知識、そしてこれからの情報を自分なりにまとめて発信しマス! ご興味ある方はぜひお付き合いいただければ幸いデース(^_-)-☆