まさかの四海楼、そして長崎新地中華街「江山楼」でランチ~!

さて、佐賀は嬉野から車で一時間強で到着は...!

来ました、キマシタ~、長崎!! 日本と中国を国レベルで繋いだ街。17~19世紀に日本国として諸外国に対して、正式に開いた玄関口デス(^_-)-☆

歴史の話はコノ位で、行くゼイ、四海楼! 「ちゃんぽん」「皿ウドン」を紹介した店。山海の素材を取り入れたチャプスイから始まり、塩味テイストで表現した初めの店といわれる陳平順氏が創業した「四海楼」でランチ~、そして『ちゃんぽんミュージアム』が今日のお昼ではメインで~ス(^_-)-☆


到着!!

凄ぇナァ~、この感じは! いや、楽しみ...アレ~!?

ゲェ!!!!!!!

...そう来るか、いや、GW明けの不定休と言っているお店ですから、ソダネ~、これは有りデス。いや、ちゃんぽん、皿ウドンと料理位かなぁと考えていたので、予約するにはどうかと思い、問い合わせしなかった結果デス。これはいたしかたありませんナァ~♪


じゃあ、迷う事無しで長崎中華街新地へGO!!

気になっていたお店の一つがコチラ。実は夜は予約で長崎の違う場所に予約していたので長崎新地中華街では正式な食事が出来ない予定でした。なので、この予定変更はコチラ側では有りデス。平日のゴールデンウィーク明け、そして四海楼近辺は観光スポットなので、アタフタと所用を済ませたので13時頃の来店...なのに満席状態で待つ事30分。「2階の相席でよろしいですか?」「ハーイ」という事で、やっと昼飯デス...席に着いてから女房殿とミーティング。夕食は19時なので酒無しは既定路線。食べるのは...少な目という結論。ま、無理する年でもないからネ、初老だし。ま、楽しみましょう(^_-)-☆

席に着き、メニューを拝見。ランチという概念は無しというスタイル。素晴らしい王道デス。おー、コレは懐かしいという事で「特製ちゃんぽん(特製五目湯麺)」と「芙蓉蟹」をオーダー!!

二品という選択。ま、食べたくなったら追加すればイイネという事での注文。「かに玉」と「フーヨーハイ」は違うのデス。殻付きの渡り蟹で芙蓉青蟹ですから...ヤベエ、見つけちまったゼイ、あの~、特製チャンポンの写真にあるメニューが「特製什錦“炒”麺」になってますが、“湯”となりますよ~・・・当然知ってますよネ、大量の印刷メニューでこれに気付く人は少ないですから~、次のメニューチェンジにはぜひ修正下さいm(__)m


あれ~、かなり出来上がりが早し...キマシタ、芙蓉青蟹。素材良しデス、蟹以外は。まぁ、これは選択ミス。細かいコメントは控えますが、残念でした。

なるほどネ~、チャンポン登場。特製と普通の違いがよくわからないのデスが、お味的には良しでした。作り慣れた安心のお味デシター(^_-)-☆

江山楼、創業は1946(昭和21)年、長崎では戦災復興土地区画整理区域である長崎新地にて産声を上げた。現在では5店舗とお取り寄せのインターネットショップを展開。そうか、新橋亭と同じ創業なんだネ~。創業者は父の玉官氏と母の王梅瑛氏で、まさに二人三脚で小さな店からの出発。“江”は河、そして“山”は山、“楼”は楼閣。「山と川に囲まれたレストラン」...実は“江山”には国家という意味もあるのデス。そうすると『聳え立つような山脈と、巨大な大河を持つ国家を代表する中国料理店』...志を高くして始めたのが“江山楼”なのデス。そして、江山楼といえば「さだまさし」氏。長崎出身の佐田氏は故郷への献身的な活動を継続されています。

★ ナガサキピーススフィア 貝の火運動 ~ピースミュージアム~

  http://www.nagasakips.com/

そして、そんな佐田さんが「あんちゃん」と慕うのが江山楼社長の王国雄氏なのだ。

★ 江山楼テーマソング「秘伝」 作詞・作曲 さだまさし氏

  http://www.kouzanrou.com/about.html#hiden

ご馳走様でした、さて夜のために腹八分目なので長崎新地中華街をお散歩しましょうかと二階の大広間で靴を履いていると「ありがとうございました、〇✖▼◇P!◎△◆・・・」と良くしゃべるオジイチャマに見送られて店を出ました(^_-)-☆


んでネ、とりあえずコレを食べなければと中華街中央地点で

角煮まん!

泰安洋行・友誼商店さんのデース、普通に旨しデス!!

・・・噂には聞いていましたが、確かに小さいですナァ~。昨年は神戸行きましたけど、それよりもかなり小ぢんまりとしてマス。でもね、広ければいいワケではないので、俺的にはこういう雰囲気は好きデス。さて、長崎新地中華街としての直接的な発祥は、この当時の身近な災いである火事デス。唐人屋敷の出火で膨大な貿易品が損失、再発防止のために埋め立てられた新地蔵所(シンチクラショ)。その後の開国で居留地となり、唐町から港に近い新地へと移住する方々が増えて現在の下地が出来上がり、支那街、南京町となる。正式な長崎新地中華街と成るのは、1984(昭和59)年に長崎新地中華街商店街振興組合が設立。牌楼の建設など街づくりがスタートし、ランタンフェスティバルは90万人を動員するなど現在に至るそうデスm(__)m

前出の江山楼、1928(昭和3)年創業の新和楼、会楽園、京華園、西湖、蘇州林...総数は少ないけど、名店揃いの長崎新地中華街にはとても興味ありデース。研究対象がまた一つ増えました~(^_-)-☆

★ 長崎新地中華街

  http://www.nagasaki-chinatown.com/index.html

 

和魂華才、俺のCHIなサロン!

日本の中国料理についてのこれまでの知識、そしてこれからの情報を自分なりにまとめて発信しマス! ご興味ある方はぜひお付き合いいただければ幸いデース(^_-)-☆